金造菩薩形坐像
  県指定文化財・湯野
金造菩薩形坐像   藤原時代の作と思われる金で造られた像高4.29cm菩薩形の像です。嘉永6年(1853)に、村人が楞厳(りょうごん)寺裏山で土中から発見し、寺に奉納したといわれます。また当時の住職が経緯を記した縁起を記し、出土した場所に石碑を建立しています。

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○機関紙「ふるさと かわら版
平成18年3月号(No.12)p2~3「湯野温泉」pdf
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湯野板碑
  市指定文化財・湯野
湯野板碑    この板碑は、3基とも花崗岩製でいずれも塔頂から20~30cm下方に梵字種子があり塔身中央部に紀年銘が確認される外は塔頂部および根部とも特別な細工は施されていません。
 この内一基の紀年銘から応永12年(1405)の乙酉に造立されたものと推定されます。3基とも干丙が一致するので同年次に薬師三尊として造立されたものと考えられます。
 この板碑も他地区のものと同様に湯野地区の庶民の結集による造立を感じさせ、当時の庶民信仰を知る上にも貴重な遺物であります。
 3基とも県内の古記録に所収されていませんが、地元の人々には昔から「石仏さん」と言われて親しまれてきました。
 この自然石の板碑は、三尊を表しています。三尊は向って右から釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来で、それぞれの仏をあらわす梵字(種子)はアク、バイ、キリークです。
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山田家本屋
  県指定文化財・湯野
山田家本屋    江戸時代に湯野・戸田地区の領主であった堅田氏の家臣、山田氏の屋敷跡で、江戸時代中期の建築と推定されています。
 台所まわりの筵天井、中二階の隠し部屋、座敷の刀隠しの引き出し、外から開かない回転式の雨戸など工夫をこらしたつくりで貴重なものです。かつては戸田の山陽道沿いにあり、名高い偉人傑士が訪れたとされています。


与謝野夫妻の歌・弘中又一の書簡

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平成18年3月号(No.12)p2~3「湯野温泉」pdf
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堅田家墓所
  湯野
堅田家墓所    堅田氏の本氏は粟屋氏で、粟屋備前守元通の次男で幼名弥十郎、大和守元慶を始祖とします。元慶は小早川隆景の猶子(養子)となり小早川を名乗るよういわれましたが、これを堅く辞退して受けず、改めて堅田の姓を賜わりました。
 元慶は安芸国高田郡内に7438石余の知行を得ていましたが、毛利氏が萩に移ってからは、熊毛郡・佐波郡・大津郡8169石余を給され、寄組筆頭として永代家老益田、福原両氏に次ぐ家柄となりました。
 2代就政の寛永2年(1625)に、領地替えで湯野村1467石余の外、戸田・莇地等を含めて4500石を領しました。それ以後も歴代寄組の筆頭として、蕃政府に貢献し嘉永4年(1851)の石高は6126石余に達しています。
 この墓所には、初代元慶をはじめ歴代の墓石があり、萩蕃の重臣にふさわしい立派な形式と規模を誇っています。
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郡境碑
  戸田
郡境碑    椿峠は古くは山陽道の都濃郡戸田村から佐波郡富海村に至る山路で郡の境界でした。
 享和2年(1802)この地を通過した尾張の商人菱屋平七は著書「筑紫紀行」に戸田村をたってからの様子を「…是れより左右山の中を行く。小坂を登りて峠に至れば椿峠という所にて人家十軒ばかりあり、此所郡境とて石を立てしるせり」と書き残しています。
 現在の郡境碑はこの記録にあるものではなく嘉永6年(1853)に再建されたものです。この碑は一時他に移されていましたが、このたび関係者の好意により元の位置に復元されました。
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天野屋利兵衛誕生地碑
    戸田
天野屋利兵衛誕生地碑    忠臣蔵や歌舞伎で有名な天野屋利兵衛は、四郎谷の出身で父は徳山藩家老の神村将監という伝説があります。
 四郎谷の海が見える小高い山の上に、天野屋利兵衛生誕地碑があります。
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貝籠五輪塔群
    市指定文化財・夜市
貝籠五輪塔群    ここにある五輪塔は、この周辺から発掘された五輪塔の各部を組み合わせ、原型に近い形に復元しています。10基中4基には弘安4年(1281)、嘉元5年(1307)、元亨年間(1321~1324)の紀年銘があり、とくに弘安4年銘は県内に現存する五輪塔の最古品です。
 五輪塔の四方には五輪種子を彫り、「右志者為阿闍梨/出離生死頓証菩提/法界衆生平等/利益他」と造立趣旨も刻んでいます。阿闍梨某の追善と一般衆生の功徳を願って造立されており、この五輪塔は天台宗か真言宗の僧侶が死亡した時、その墓塔として造立されたことが知れます。
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紙本着色八幡縁起絵巻
    市指定文化財・夜市
絵本着色八幡縁起絵巻   製作は室町時代の縁起絵巻と思われます、当地方で確認される唯一の貴重な縁起の伝存です。
上巻には神功皇后の三韓征伐の次第、下巻には応神天皇の誕生から八幡宮の創立記や利生記を描くもので、上巻は詞書六段・絵五段、下巻は詞書・絵ともに五段から構成せられています。
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鷹飛原八幡宮の神像 
    市指定文化財・夜市
鷹飛原八幡宮の神像    男神像四軀、女神像二軀が奉祀されており、男神像は仲哀天皇・応神天皇・仁徳天皇・武内宿祢、女神像は神功皇后・三女神に比定されています。
 男女神像とも、ふくよかな円相、ボリューム感のある躰躯、おおぶりな衣文の彫りなど、製作は鎌倉時代と思われます。県下では数少ない神像の優作です。
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釣りをする坊っちゃんの像(夏目漱石「坊っちゃん」のモデル 弘中又一) 
    湯野
釣りをする坊っちゃんの像(夏目漱石「坊っちゃん」のモデル 弘中又一)    弘中又一は、明治6年(1873)に野村後山に生まれ、湯野小学校を卒業しています。
 中学校教員の免許を得て、明治28年(1895)22歳の時に、愛媛県松山市の松山尋常中学校に数学と英語の教師として赴任します。この時、1ヶ月早く赴任していたのが、夏目金之助(漱石)でした。
 2人が松山に滞在したのは1年ほどですが、その間の交流や学校での出来事などが「坊っちゃん」に取り入れられています。


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