潮音洞
    県指定文化財・鹿野 
 潮音洞は、漢陽寺の裏山を刳貫(くりぬ)いて、錦川の支流渋川の水を鹿野の台地へ引く用水施設で、その規模は導水路870メートル、洞内89.4メートル、下流水路1000メートルです。
 この潮音洞が完成するまでの鹿野上村は土地が台地状をなして高く、村中を流れる錦川は川床が低く、全く水利の便に恵まれておらず、井戸もよほど深く掘り下げなければ水が湧き出ない状態であったといいます。
 この状況を見た岩崎想左衛門重友は、慶安4年(1651)一念発起し、水利獲得と小谷原開作を目的として漢陽寺の裏山掘開を藩に請願しました。同年10月許可が下り、足かけ4年の歳月をかけて、承応3年(1654)隧道の完成を見たのです。

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  岩崎想左衛門重友

想左衛門重友は慶長3(1598)年、代々毛利家につかえた郷士の岩崎家に生まれました。想左衛門が生まれた頃の岩崎家は農業を営む浪人暮らしでした。想左衛門が9歳のとき、寺に修行にだされましたが、もう一度、武士に戻りたいという思いを強くし、14歳で寺を飛び出しました。のちに鹿野村の田村家の養子になり、その後、独立して岩崎想左衛門重友を名乗るようになりました。
 その後「潮音洞」を開いた想左衛門の努力が認められ、岩崎家は再び毛利家臣に迎えられました。 
   
木造地蔵菩薩立像
市指定文化財・鹿野
 藤原時代の檜材一木造りの像で、直立して(くつ)をはいています。
木造十一面観音菩薩坐像
    市指定文化財・鹿野
   鎌倉時代に作られた像です。中山観音堂洪鐘鋳替勧進帳写によると延暦寺三代慈覚大師の作とされています。
   
     
木造薬師如来坐像等
    市指定文化財・鹿野
   制作年代は鎌倉時代。特に脇侍の日光菩薩、月光菩薩及び眷族の十二神将十二体もすべて保存が良好です。
   
     
秘密尾の氷見神社社叢
    県指定文化財・須万
  氷見神社の社叢は、社叢そのものが御神体であり、かつて斧を入れたことがないまったく自然のままの姿で保存されている原生林です。また、社叢の東側と西側に渓流が流れ、湿気にも恵まれて植生は豊かでしかも変化に富んでいます。

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須万風呂ヶ原のエノキ
    県指定文化財・須万
   樹高約22メートル、目通り4.8メートル、樹勢旺盛なめずらしいエノキの巨木です。
 エノキは、双子葉植物・ニレ科の落葉高木で本州・四国・九州および朝鮮・中国の平地や丘陵地にみられます。葉の縁は低く丸みのある刻みがあり、材は堅くてわれにくくなっています。
   
     
江良氏居館跡
    鹿野
   現在の龍雲寺境内は、かつての江良氏の遺跡跡です。境内の北側(64m)と南側(約45m)に土塁の一部が残っています。西側の土塁には空堀があったと考えられていますが、屋敷地の西半分は後世削り取られて土塁(築地)は消滅しています。屋敷の規模は土塁内敷地部分36間×36間の広さがありました。
 当時は高さ3〜5m程度の土塁が四方を取り囲み、3方に虎口(出入口)があったと考えられており、さらに土塁上に木柵、隅部土塁上に櫓が備えられ、屋敷の隣接する高台は一族と重臣の屋敷跡があったのではないかと推測されています。
   
     
岩崎家住宅(超世丸)
    鹿野
 岩崎家は江戸時代から現在まで、周南市鹿野に続く旧家で岩崎家祖は潮音洞を完成させた岩崎想左衛門重友です。
安永3年(1774)に岩崎重次が真行寺住持山法師の助力によって、家伝の秘薬を「超世丸」と名づけ丸薬にして売り始め、売薬業を創業しました。

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山代街道(大町の道標と大潮片山の道標)
  鹿野
   城下町萩と隣国安芸の秋掛村亀尾川を結ぶ街道で、現在の萩市(旧福栄村・むつみ村も経由)から、山口市(旧阿東町・徳地町)、周南市(旧鹿野町・徳山市)、岩国市(旧錦町・本郷村)を経由して旧美和町秋掛に至る約24里・100kmの道。

大町の道標には
「左やましろ道
 右とくやま道」
と刻まれています。
大町の道標  
大潮片山の道標には
「右さばぐんこうちみち
 左みたにみち」
と刻まれています。
大潮片山の道標     
   
     
小谷遺跡
  鹿野
     弥生時代の集落遺跡「小谷遺跡」は、平成6年夏発掘されました。
 遺跡のかたる歴史は、すべて調査の記録にとどめられ、今遺跡の上に新しい福祉施設が建っています。

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二所山田神社
    鹿野
    このお宮は、明治40年(1907年)、二所大明神と山田権前社を合わせて祭りお宮の名も二所山田神社としたものです。
 二所大明神は、今からおよそ1080年も前からあるお宮で、祭神は、八千矛神・大物主神の二神です。
 山田権前社も、今からおよそ1100年前のお宮で、伊勢の国(三重県)山田郷より勧請したものといわれています。祭神は、天照大神と豊受大神の二神です。
 このお宮の境内にある菅原神社の夏祭りは有名です。御神幸や網代に奉仕する裸坊大行司・小行司、大名行列、長持ち行列などが列をつくってにぎやかです。
 中でも、子供の引く「ドロ」は、他の地方では見られない地方色ゆたかな行事です。
                    -境内案内板より抜粋-

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ライオン岩(岩屋山観音堂)
    鹿野
   岩の中腹より上の辺りの窪んだところに、観音さまがあります。
 また岩の近くには観音堂があり、寺社由来によると「観音堂一宇、九尺四面、但し鹿野上村柿ノ木原に有之」と記されているので、安永2年(1773)以前からあったものと思われます。
 本尊は如意輪観音、不動明王、弘法大師、観音菩薩がいっしょに安置され、奥の院はお堂のうら山の岩屋にあって、如意輪観音・不動明王が安置されています。
 写真の木枠から山を見ると、ライオンの顔のように見えることから、「ライオン岩」と呼ばれています。

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清流通り
     鹿野
   水車や、池、句碑、神社、しだれ桜などを見ることができる延長545mの通りです。
 水を中心として自然・文化、そして住民の生活が一体となった散策スポットとなっています。

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金松桜
     鹿野 
  鹿野 金松地区にある桜の大木です。
木の周りが整備されているので、国道315号線からもよくみえます。

   
     
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周南市の史跡を訪ねて
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